アニメ見た備忘録_220704_映画バクテン!!

 7月2日の公開初日、「映画 バクテン!!」を見てきた。

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 好きなアニメは数あれど自分の人生で本当のマイベストアニメを決めるならおジャ魔女どれみプリティーリズムレインボーライブかはたまた少年ハリウッドか、という3択に含まれる少年ハリウッドを作ってくれた、黒柳トシマサ監督をはじめとするZEXCSスタッフによる本作。
 勿論過去作からの期待値だけでなく本作が実際に素晴らしい出来で、テレビシリーズは去年見たアニメで自分にとって1番の作品、特に9話は痺れるモノだったというのは前にnoteで感想やってた時に書いたりしている。

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 そんなテレビシリーズからの続編映画が面白く無い訳が無くやはり素晴らしい出来で、テレビシリーズ時の視聴している肌感覚から全く変わらないのに映画化にあたってパワーアップだけを果たしている名作であった。見ていた中で特に良かった、「熱」を通じた表現だけでも書いておく。ネタバレしまくり。

 序盤にて、インターハイ直前の壮行会としてアオ高メンバーの家族も集まって食事している所で3年の進路に関する話が出てくる。3年にとっては当然頭に入れている事だが、ここまで駆け抜けてきた後輩の翔太郎達にとっては思考の外でショックにすら感じる事実を突きつけられている様子であった。そのシーンで(たしか)翔太郎の妹・亜由美と美里の叔母・咲子が線香花火に興じていたが、儚く散っていく火はまさしくずっと今のままでは居られないと感じている翔太郎たちの比喩なのだろう。黒柳トシマサ監督の少年ハリウッド第8話でも同じように将来の夢を語りながらメンバー達の花火で遊んでいるのが非常に刹那的で悲しくもあり美しくもある光景を演出していたのだが、それと近い使い方であり、監督がこれまで積み上げてきた蓄積を感じられるという意味でも嬉しかった。このシーンだけ見ても直接的に気持ちを語る台詞を抑えつつ感情を表現している素晴らしい演出なのだが、この演出が更に後々効いてくる。

 インターハイでは結局ミスによる敗退と3年の引退という悔しい思いをしただけでなく、恩師の志田先生も新たな夢を追うために学校を去る事を告げられ、暫くはこれからどうしたら良いか悩み、迷い続ける翔太郎・美里・亘理たちが描かれる(ダイジェストで語るようなシーンでは無く、そこも丁寧に長尺描写されてるのだけど)。しかしそれを乗り越え、皆が再び前を向けるようになってきた年末、ましろが翔太郎と美里に志田先生が離れてしまったら何故悲しいというのか、自分は美里に教えてもらった新体操の楽しさを美里と離れた今でもずっと持ち続けているのにと伝えるシーンとなる。

 雪の降る中でましろが手を掲げながらそう語っていると、舞い降りた雪はましろの手に落ちてすぐに溶けていく…というましろの体に確かな熱が存在し続けている事を示す流れが本当に美しい。序盤の花火と同じく熱による比喩的な表現を用いつつ、新体操を通じて得た想いは燃料が尽きて消えてしまうという事は無く、生きている限り本人の中で灯り続ける事が、口だけの台詞にならずハッキリと伝わるこの説得力。主人公の翔太郎と美里が完全に立ち直るにはこれ以上ない流れを1本の作品を通じて生み出していたのが見事であった。
 思うに、テレビシリーズではアオ高の名前が示す通り、澄んだ青さから受け取るような純粋さや解放感、爽やかな気持ちを表現する事を基本線としていたが、映画でシロ高のメンバーともより一層交流を深め、最終的には共に演技をするようになった事で伝統あるシロ高の持つ力強い演技の根源となる熱意や絶えない継承が加わったのではないだろうか。(白そのものというよりは雪国でも確かに在り続けるための芯の部分)

 本当はこの他にもテレビシリーズから続く演出の一貫性、演技シーンで見ている側の気持ちを次第に盛り上げていった所でめちゃくちゃ複雑なアングルとキャラの重なり合ったカットの作画が出てくる素晴らしさを持ってくるようなコントロール力もあって前述のシーンにしてもまとまりを強く感じられたのだが、自分の力では上手く書けず申し訳ない。

 

 また、内容の外にある評価の話になってしまうが、購入したパンフレットを確認した所この映画は絵コンテ・演出・総作画監督・更には作画監督までもがテレビシリーズと全く同じメンバーで構成されていて、映画で新たに加わった人が居ないかなり珍しいスタッフィングと言えると思う。原画陣までは全員調べ切ってはいないが、恐らくこちらもほぼ同じであろう。特に、少し間隔を空けてクレジットされるメインスタッフはやはり変わらぬ面子のみとなっている。
 普通テレビシリーズ作品の映画版を作る時、尺の長さを人数で補うためにしろスケールアップ感を出すためにしろ、関わる人はどんどん多くなったり中々テレビシリーズではお目にかかれないスペシャルな人が加わったりするものだが、それが無い。元のテレビシリーズからそれだけ上手い人たちが集まっているという事でもあるのだが、映画にスケールアップしたとしても人数も面子も同じままで一丸となって1本作り上げる気概のある人たちが作り上げた作品であるという事が、作品の持つ純度を高めていたように思う。スタッフィングではなく見た上での面白さが正義なのだが、そうした信念めいたものが作品の内外両方から伝わってきて面白さに繋がっていたように思う。